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2023年06月02日

障害という枠が人を暖かく見ることを難しくしているのか

理解の出来ない迷惑行為自体何らかの障害かもしれない。これを障害(障碍)という枠でくくるかどうか。

昔変な人だと思われていたものが障害だったのか~と理解されることがある。以前にはその障害が命名されていなかった。

でもよく考えると、皆社会に迷惑をかけたくてしょうがない人は本当にわずかだと思う。何等かの不明な疾患に起因していると思えるほど理解に苦しむことも多い。

社会から孤立している人は何らかの問題があるから孤立する訳で、障害として認められれば温かい目で見られ。障害として認識されなければ変人扱い。この差は何なのだろうか。

障害という言葉を世の中から消してしまった場合、同じ社会に溶け込みづらい変な人には変わりない。

障害名を増やすことで理解したように見えて、逆に障害として認識されなければ変人色が濃くなる。障害名を増やさず、変人を理解する社会にする方が近回りかもしれないとふと思った。

動画はどの様な人物か不明だが、変人は退居を命じられ、孤立が深刻化しないか気になった。
https://www.youtube.com/watch?v=yEmxky-jZ20

同じように奇声を発するけれど障害としての扱い(チック症・トゥレット症)
https://www.youtube.com/watch?v=Sfa0CTrvENs

意思で奇声を止められたら苦労しない、何らかの疾患があるのかもね。

何が答えとか分からないけれど、ただ変人として見てしまうと本人の深い傷が社会不信、怨みに代わる恐れもある。見方、扱いの問題だね。


並里義明建築研究所/ AYN Architect Yoshiaki Namizato
http://namizato.jp


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Posted by 並里義明建築研究所 at 16:36│Comments(0)雑談
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